『為に生きる』

第九話「居酒屋どんどん」

居酒屋どんどん

 

しばらくすると、閉店していた焼肉店のビルオーナーから連絡があり、債権者が誰も引き受けなかったので営業してはどうかとの有難いお話を頂いたのでした。

再チャレンジに喜んで挑んだのですが、高級焼肉店を大衆的な居酒屋にしたいとの思いに胸が躍り、店舗の大改造に取りかかるのですが、資金もなく最低限の材料費を兄に援助してもらい、自らが使ったことも無いノコギリやカナズチを持ち、椅子テーブルや炉端焼きの炉などを作り、私が出来ない大工仕事は1日だけプロの大工さんにお願いをして、飾り付けの古民芸品は京都まで出かけて購入し、「民芸居酒屋どんどん」が完成したのでした。

 

料理人やスタッフもアルバイトも募集で苦労しない時期でもあり、万全の体制が出来上がります。私自身は朝から魚介類や肉や野菜の仕入れで市場へ、午後は店の掃除、営業中はカウンター内の、中央の焼き場の炉に陣取り、焼鳥や串焼などを焼きながら、周りに目を配り指示を出すのです。

大変な毎日だったのですが、居酒屋ブームの時期でもあり大繁盛店となり収入も安定し、別居していた妻が探してきた大阪平野区のマンションに新居を構える、とはいっても階段で4階にある2LDKの古いマンションでしたが、妻と子供たちとの同居はこの上のない喜びとなったのです。

 

後にこの地、この住まいが子供たちの成長過程に大きな影響を与えることとなるのです。

 

「居酒屋どんどん」は、一坪当たりの売り上げが業界でもトップクラスとの評価を受け、ビールメーカーの人にも注目して頂き、日参してくれるほどのお店となったのです。私はこの時、居酒屋のチェーン展開も視野に入れ夢も膨らみ、当然、収入も安定します。

 

 

しかし、子供たち3人が小学生になったころ、次は兄の事業が不振になります。聞けば相当な借金があり、まとまったお金が必要とのこと、私だけではなく兄までもダメになるということに耐えられず、母の面倒を見てくれている兄のためにと、考え抜いた末「居酒どんどん」をビルのオーナーに買い取ってもらうこととなります。料理人やスタッフをすべて残し、相当な金額で引き取ってもらったのですが、聞いていた話以上の凄い借金だったので、最低限の生活費を毎月私に返済するという約束で売却のお金の全てを兄に渡すことになります。私はまたもや夢破れ仕事を失い、元の状態になってしまうのです。

 

私が出した結論に今まで文句ひとつ言わず、口出しをした事のない妻もさすがに、「うーん」と一言、おそらくは「小さな子供3人もいるのに、何で考えなかったの、商売は順調だったのに、居酒屋を事業展開すると言っていた夢はどうなるの」と色々と、言いたかったのではないかと思う。

明日からは職を失い収入が無いということを実感することになったのですが、それよりも、踏ん張って頑張ってくれていた妻の信頼をも失ってしまったのではないかと、気が滅入ってしまうのでした。