『為に生きる』

第二話「働く」

働く

母が写真館に連れて行ってくれた小学校入学式の日

 

 

 

小学生時代を無事過ごし、中学生となります。不自由はなかったのですが暮らしは楽ではなく、中学2年生になると、朝は牛乳配達などをして、中学3年の時には、お中元お歳暮の配達や魚屋さんなどのアルバイトをして、お金をためて、野球のグローブや自転車など、欲しいものは自分で買っていました。

 

 

                 

牛乳配達の店前で

 

 

 

そして、野球部に所属し4番打者を務めましたが、大会では1回戦で終わりました。そのほか大阪市の中学対抗の相撲大会や陸上競技大会バレーボール大会など、私は何でも引っ張り出され、特に陸上では400メートル走では大阪ブロックの新記録を出すということもありました。

また、自宅の近所には同級生や下級生が5人ほどいて毎朝、全員が私の家の前に集合して登校するのですが、私と一緒だとイジメにあわないからで、スポーツ万能だった私は殴り合いのケンカもしたことがないのに、当時の同級生の間では校内ナンバー2の称号を頂いていたようです。またちょっと自慢になるのですが近隣の中学校の女子生徒が数人、校門のところで私を待ち受けていたこともあり、カッコを付けて楽しい時を過ごしたのです。

そして高校へと進学するのですが・・・

 

 

高 校 時 代

 

 

 

大阪でも有名なカトリックの私立高校で、校則も厳しく何かトラブルがあると丸刈り、停学など厳しい処分が下され、もちろんアルバイトなども許される訳もなく、大学受験を目指すしか目的を見出せないということを思い知りました。

今考えると、社会に出てからの基礎となる常識的な勉学や知識、経済、文学、歴史、芸術、少しばかりの語学などを習得する場として力を蓄えるためで、ゆっくりとした3年間であったような気がします。

そして高校を卒業し大学へと進むのですが、希望の大学は不合格、何とか大学に入学はしたのですが、大学事務所の前に貼ってある就職案内を見て元気をなくし、大学にはほとんど行かずに3年の時、除籍処分を受けます。働くことが大好きな私は、百貨店、おもちゃ屋さん、絨毯会社、ガラス工場などアルバイトに明け暮れました、今思うとその頃が一番、仕事の楽しさや商売の面白さを感じていたかもしれません。