『為に生きる』

第十九話「息子達」

息子達

 

三人の息子達はと言うと、長男将光は私学の中学に入学、中高と通うことになります。次男晃次と三男晋輔は地元近くのサッカーチームに入り活躍していたのでした。妻がこの地と決めて移り住んだその地域は、指導者に恵まれた大阪でもトップのサッカーチームがある、素晴らしい環境だったのです。

おかげで、次男三男は隣町のその公立中学に入学するのです。そのために私たち家族はその校区へと引っ越しをすることになります。

おかげで、次男三男はサッカーで大活躍し、私学の高校に入学することになります。

 

昔ながらの古い考えだったのでしょう。三人の息子達全員が将来のために必ず大学に行ってほしいとの思いだったのです。そのために、まずは長男が大学入学の先鞭をつけてほしいと、学業を無理強いした期間が有ったかもしれません。しかし、長男が高校3年生になった頃には、元気で無事に育ってくれていることが一番大切なことだとの思いから、自由にのびのびと育ってくれることを願い、成長を楽しく見守る姿勢に変わっていったのです。

実は、大学入試に必要となる入学金や学費などの準備のために、月掛けの学資保険に入り準備は怠らなっかったのですが、結局大学に行く行かないは本人の判断に任せたのでした。

おかげで大学入学にかかるであろう準備金は不必要となり、子供たちに有効に使うようにと高校卒業時に手渡したのでした。三男だけが大学に入学したものの、プロサッカー選手になってしまい契約金まで頂き、その後中退ということになります。

 

長男将光は高校生の時、大ホールを借りて若者1000人を集めファションライブを開催し、大成功を収めたりしてリーダーシップを発揮していたようです。そんな指導力が今も生きているのでしょう。

 

次男晃次はクラスの人気者で、体育会の時には1500メートル走でクラス代表で出走し、陸上部キャプテンの生徒をゴール前で抜き去り1位になり、学校全体から大喝采を受け、私も妻も涙を流さんばかりの喜びでした。

 

三男晋輔は中学生の時は生徒会で全校生徒の前で発表したり、大阪市の行事には学校代表で出席するほどで、サッカー以外にも活躍していました。そして、高校時にはサッカーで全国大会に出場しプロの道へ、ガンバ大阪に入団することとなるのです。

 

三人は共に自由で楽しく充実した高校生活を過ごしたようで、頼もしく見守っているだけの父と母だったのです。

 

当時の三人の息子たちに共通して言えるのは、共に負けず嫌いでそれぞれが素晴らしい個性を持ち、人を引き付ける魅力の持ち主で、物事に万全の姿勢で取り組み挑戦するという実行力や常に冷静さを失わない姿勢は、このころ培われたのかも知れません。

 

それらを商売や事業に思う存分発揮し現在に至っていると思うのですが、日々目まぐるしく変化する時代の波や惨禍にも戸惑うことなく綿密な計算のもと真っ向から取り組み、常にチャレンジ精神を忘れず持ち続け、独創性にも優れた、しっかりとした自分を形成してくれているからだと、確信しているのです。