『為に生きる』

第十四話「試練の古美術商」

試練の古美術商

 

リサイクルの事業は若いスタッフ達に任せられるようになって、私自身は、別店舗ですでに営業を開始していた古美術商「八光堂」に専念できるようになったのです。

 

それは、私がリサイクル品の買取に行った際に、お金は要らないから持って帰ってください、と言われて持ち帰った古道具や古い掛軸などが思いもかけない金額で売れたことが有ったので、古道具、古美術は面白い、儲かるのではと思ったのが発端でした。

それに高額な美術品でも買取できる余裕が少しだけ生まれてきたのもありますが、同じ1割や2割の儲けでも高額品の1割のほうが儲けが大きいという単純な考えもあったからです。

 

しかし、現実は厳しく、有名作家の作品などで、高さ20センチの壺は幾らとか、絵画4号はいくらで買ってくれますかとかの金額査定のお問い合わせ頂いたりすると、即答する事が出来ず、プロの知識が必要となり相当の勉強が必要となってくるのです。

 

お付き合いが始まった、周りの古美術商の店主の方々は若いころ、丁稚と呼ばれる時代から厳しい修業をつみ勉強を重ねられ、絵画のみや陶器、刀剣だけという専門プロと呼ばれる方々や、美術品すべてのジャンルに精通している方までおられ、私のように40歳を過ぎてから古美術商というのは非常に困難な挑戦だったのです。

 

始めて間もない頃には、「美術品が色々と有るので買い取ってほしい」との電話があり、急いで出かけると農家の大邸宅が点在する地域で一際目立つ大きな敷地の一軒家で門をくぐり玄関をあけると、ご主人が下着姿で手にタオル、汗を拭きながら風呂上がりのスタイル、そこの部屋に美術品を集めておいたので見ておいて下さいとの事、特に高いものは無かったけれど、服を着て再登場のご主人に金額を提示し買取が成立、積み込みも終わりご主人に見送られ帰社したのです。

しばらくして買い取った品物の整理が終わったころ、警察から電話、実は家人が旅行中の留守宅に入り込んだドロボーだったのです。当然買い取ったお品はお返しすることになります。

 

また、ある時には、夕方にお問い合わせ頂き、お聞きしている市内の住所に着くとそこは、ごく普通の住宅街の中に一際目立つ大邸宅、大きな木製の2枚扉の脇の小扉を開けて入ると玄関まで30メートル位あり、50歳前後の温厚そうな方が小脇に絵画を抱えて、庭の向こうから出てこられ、母親に内緒で処分するとの事で、薄暗い玄関灯の下で絵画を拝見すると超有名作家の6号の絵画で「百貨店で購入したとの事」買い取り額を80万円と値踏みすると、安いけれどお金がいるのでと了承していただき、お支払いを済ませ、領収書を頂き門を出る、その時点での1点での最高買い取り額に満足。

100万円以上は売れると喜んで帰社、明るいところでしっかりと見てみると、贋作(ニセモノ)と判るのです。

実は玄関先に勝手に侵入し家人を装い詐欺を働く不届き者だったのだが、あとの祭り、家構えに騙され、温厚そうな人柄に騙され、その時の80万円は立ち直るのに時間がかかる程の大金だったのです。

 

そんなこんなで始めたころは色々と有ったので、失敗を繰り返さない為に、その時から、私はハードな勉強を開始します。

中央(東京)のオークション、大阪のオークション、お道具のオークション等で本物を手に取り、現物を肌で感じることに努めます。本物を数多く見ると贋作(ニセモノ)は何かおかしいとすぐに感じるようになるのです。

特に日本国内でもトップクラスの、京都の「大澤道具市場」は当時入会することも困難なオークションで、当時の市場主の社長の温かいご配慮で入会を許され、その後は毎回参加させて頂き、実際に美術品を出品し売却することで勉強を重ねたのでした。

その後は毎月の売方では、上位に名を連ねる売上を計上するようになり、市場の社長に喜んで頂くことになります。

 

株式会社 大澤道具市場